にゃんこと色ガラス

大好きなにゃんこふたりと 高校生娘・年上旦那さんと、ログハウスで暮らすパート主婦のブログです。油画専攻の芸大生息子は家を巣立ち、一人暮らしを始めました。

もみじ(♀)は、仔猫の時に保護され縁あって我が家の子に。
その1年後、ひとりぼっちで家の裏で鳴いている埃まみれの小さな小さな仔猫に出会う。数日後…我が家に迎えることとなった、くろまめ(♀)



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お父さんありがとう



4月🌸新学期スタート





息子は二回生に

娘は高校入学

私もパートで新しい担当に。


みんながそれぞれ平穏に過ごせている。



そのことを義父に感謝したい。





前回のブログで触れていた入院中の義父が。

3月末に永眠されました。


辛い1ヶ月だったのだけれど

義父の最期を記しておきたいと思う。



脳梗塞で身体が不自由になった義父は、ずっと暮らしていた尾道から

私達の住む関西へと移ってもらい

長い間施設で過ごしてもらっていました



2月末に発熱と食事があまりできない状態です…

と知らされてから、結局バタバタと入院生活に。


そこからあっという間に体が動かなくなってしまい

点滴だけでベッドで過ごす日々になってしまいまった。


最初に面会に行った時はこちらの声かけに目をしっかり開けて反応してくれた。


まだ中学生の娘も一緒に行き手を握った。


「お父さん、会いに来たよ。

 ○○も来てるよ」



私はずっと、義父は尾道に帰りたいだろうなと申し訳ない気持ちがあったから、


「お父さん、尾道に帰ろうね」


と声を掛けたら

顔をくちゃくちゃにして泣き顔になった。

繋いでいた手を強く握り返して

口をパクパク動かして

なんだか起きあがろうとしているようにも感じた。


ごめんねの気持ちで胸が締め付けられた。


「うん、帰ろうね、帰ろうね」


と泣きながら繰り返すしかなかった。

ひどい私だ。

そんな嘘をついて、お父さんに本当に帰れると思わせてしまった。




それからはどんどん小さくなっていくお父さんを

どうすることもできず、

会いに行くたびに手を握って肩を撫でるしかできなかった。


私よりも頻繁に会いに行っていた旦那さんは

冷静にお父さんを見守っていた。

いつも明るく

「今日は外は寒いで〜はよ元気になりや〜」

と、優しく頭を撫でながら声を掛けていた。





息子もバイトの合間を見つけて帰ってきてくれ、

おじいちゃんの手を握ってくれた。



最後はホスピスのような静かな病院へ移り。

ゆっくりとお迎えが来るのを待つ毎日。

いつ携帯が鳴ってもでれるように、仕事中もポケットに。


毎日、

あぁ今日も電話がなかったからお父さん頑張ってるんだなぁ。

と思う日々がしばらく続いた。



ある朝私は旦那さんに

「お父さん、やっぱり尾道に連れて帰ってあげたいよね。。。


「うん、でもそうするには医者の外出許可がいる。こんな状態やと絶対許可もらえへんやろう。病院出たらすぐ死んじゃうかもしれんもん。。。」


「そっか。。。」


「でも、もう向こうで死んじゃってもいいし連れて行ってやりたいな。連れて行ったろうか^^」


「うん。

 病院で最後よりも尾道で最後がお父さんは嬉しいよね、絶対。」



。。。







と、むちゃな話をした。







その次の日の朝


お迎えが来てお父さんは天へと昇って行ってしまった。




安らかに眠るお父さんに


「ありがとう」


と何度も伝えた。



こんな嫁にいつも優しかったお父さん。

嫌なこと一度も言われたことはない。

お茶淹れてあげても、

「はいありがとう…」と小さな声で言ってくれた。


こちらの施設に居るのは嫌だっただろうに

文句言われたことも一度もない。


お父さんが施設に入ってくれていたから

私達家族は介護生活に追われることなく

息子は無事大学生になれ、

娘も静かに高校受験を頑張れた。


お父さん、ありがとう。

そしてごめんね。







お葬式は

小さな家族葬にし、身内だけで静かにゆっくりお見送りした。


孫たちが久しぶりに顔を合わせて、眠ってるお父さんの横で賑やかな時間を過ごした。


「お父さん、うるさいな〜って思ってるねきっと」


と、みんなで笑い合った。



みんなで和やかにお骨を拾って

大事に我が家に持って帰った。


お通夜からの2日間。

久しぶりにずっと一緒に我が家家族4人。


そんなにずっと一緒にいることはもう何年もなかったこと。



骨になったお父さんと我が家に帰って来た後

バレー部の娘が、

バレーしよう‼︎

と。なぜか家族4人で家の裏でバレーボールをした。

キャッキャッと笑いながら。

息子も大学でバレーボールサークルに入ってる。

私もママさんバレー今もしている。


そして!

なんとお父さん、高校時代バレーボールで全国大会優勝🏆したんだって。

しかもお父さん、セッターでキャプテンだったんだって。


すごい👏👏👏



そんな話をしていたからかな、

みんなでバレーボールしました☺️


一年前は病んでた思春期受験生だった息子が

家族と笑顔でバレーしてくれるなんて。


こんな幸せなことはない。


お父さんのおかげ。


家族をつなげてくれた。





リビングには花いっぱいに囲まれた祭壇。


お線香を毎日あげる。


手を合わせる。



お父さんお母さんがいたから、旦那さんが産まれ、

息子と娘が産まれてきてくれた。

命は繋がっている🌱




お父さん、

私たち家族を空からずっと見守ってくださいね







おわり

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